注2-- 水干(スイカン)狩衣に似ている。
【誰ゆゑに】 誰のせいでそうなったのか、という意味です。
乱れそめにしぞ 「そめ」は「初め」。 『小倉百人一首』014 みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに 源融(みなもとのとほる) aka. だれのせいなのでしょうね。
3日本語というものは、古来、そういういい加減な使われ方をされ続けてきた言語なのである・・・この言い方が気に食わぬなら、「 融通無碍なる可変性に富む世にも 稀なる柔軟言語」という風に「政治的に正しい politically correct 」 言辞を 弄してもよいが、どう言葉を変えて言おうが、気分 次第で好き勝手にコロコロ変わるルールの上で踊る言葉が日本語である、という事実だけは変わらない。
の左大臣(=藤原時平)の歌でも「おくれむと思ふ 我ならなくに」と使われている。 いつもは糸のお話ですが、今日はある織物のお話です。 さもあるべきことにや:本当にそんなことがあったのだろうか?。
19ここより佐藤兄弟の旧跡へと辿るのである。 今ならば、「麻の素朴な」とか、「絹のように滑らかな」というような比喩になるのだろう。
(そうすれば、この塩竃のような景色がもっと素晴らしくなるから。 「しのぶもぢずり」はその布の模様が乱れている状態から "乱れむ" を導く序詞であるが、同時に 「しのぶ-偲ぶ」を掛けて 「偲んで乱れる」ということを表しているように見える。
15男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。
市街から遥かはなれた山かげの集落に半分土に埋もれたもじ摺石がある。 「~なくに」という言葉を使った歌の一覧については の歌のページを参照。 そして、そうなってしまったのは、それが「あなた」であるからだとして、「誰」「われ」として、いささか遠い第三者的な「しのぶもじずり」の恋心が、「われ」に帰結するものだというのを最後の結句似て表すのである。
1だから、あのおじいさんは、特に塩竃のようなこの庭園の景色をほめて、「塩竃にいつ来たのだろう」とよんだのだった。 ・・・である以上、そんな言葉を日常の意思疎通の手段(更には、思考・感覚の 拠り所)として生きている日本人としては、西欧人以上に、構造的に 恣意に流れがちなこの国の言葉・決まり・振る舞いというものに対し、警戒的知性を 錬磨し続ける努力を怠ることは許されないのである。
「 序詞」は普通、後続部の主意の導出役としてのみ働き、それ自体の意味はないものだが、この歌に関しては全く逆で、「気の利いた 序詞を思い付いた・・・から、乱れ模様にまつわる歌を作って織り込もう」という安直な思い付きに踊る 詠み手の浮き浮き・うかうかとした軽ーい気分が、歌の全編を覆い尽くしている。 従一位は、一位を正 しょう ・従 じゅ の2段階にわけたうちの上の階級を指します。
嵯峨天皇の皇子。 ** マメ知識講座 ** 注1-- 狩衣(カリギヌ) もともと公家がタカ狩りの時に用いたが、後に公家の平服 、武家の正装に格上げされた。 *そして、問題の「しのぶもぢずり」とは・・・ 陸奥國信夫郡で生産された、摺った形の捩(もじ)れたもの。
2この「もちずり石」に源融の面影が浮かんだという。
戊辰の役では官軍に敗れ、二本松少年隊の悲話とともに藩政も終焉を迎えた。 「そめ」は「初め」の意味とともに、「染め」にも引っかけられています。 【乱れそめにし】 乱れはじめてしまった、という意味。
1『真蹟懐紙』には、 早苗つかむ手もとや昔しのぶ摺 とある。