ヘリコプターが支店東南2キロのグラウンドに着陸。 第二機動隊訓練指導担当・松原和彦警部が陣頭指揮に当たり、岩沢匡祐・警備一課管理官が「のぞき穴」からチャンスをうかがい、突入時期を判断。
試射を試みるも安全ゴムが引き金にはめられているのに気付かず「故障しとるわ」と机の上に投げ出し、実弾5発を抜き、うち4発を楠本警部補の拳銃に装填。 支店長は右肩に被弾、死亡。
住吉署は発生配備、付近6警察署(阿倍野、西成、住吉、大正、堺北、松原)は周辺配備。 午前8時25分 梅川、猟銃に再び実包を装填。 「酒を入れる代わりに人質のうち客全員を解放しろ」。
14午後3時 の国際会議場の近畿本部長会議に出席中の吉田六郎・府警本部長に第一報。 ま、ええわ。
1階にいたのは行員34人(男性14人、女性20人)、来客17人(男性7人、女性10人)の計51人。 ここから梅川の姿を捉えることに成功。 昭和33年()6月、両親が離婚。
人間が不眠と緊張に耐えられるのは40時間程度とされる。
気を良くした彼は勤務中にも勧誘を行うようにまでなり、400万円ものお金を稼ぎだしました。 梅川は支店長席に陣取り、人質の女子行員を机の上に座らせる。 この後、ニュースで身元が判明したのを知った梅川は「もうバレたか。
11月28日の突入実行時、TBS系列局では『』を放送していた。
「人質は死んでいると思ったが、生きているので出した」。 「アイス」の売人にメールを入れてみた。
この事件解決までの2日間の中継リポートを担当した。