今はスパーリングを4ラウンドぐらいにし、バンテージの巻き方も研究し、負傷を減らすことに成功しています。 プロ7戦目に韓国で世界チャンピオンに挑戦したことがあったんです。
〈大橋〉 その韓国行きの飛行機の中で、ふと「昔の人が戦争に行く時はこんな気持ちだったのかな」と思ったんですね。 精密機械と呼ばれた名ボクサーでも、大橋会長との対戦は大きなプレッシャーだったことがわかります。
おそらく日本で2試合、アメリカで1試合というスタイルで年間をこなしていくことになります。
プロ転向後は、6戦目で日本ライト・フライ級王座を獲得。 ディフェンス、距離のとり方、ボディ打ち、すべて。 ジム経営では5人の世界王者を育成• 「誇れるのは世界チャンピオンになったことじゃなく、何度負けても立ち上がってきたこと。
5尚弥は、左のジャブが普通のボクサーの右ストレートぐらい強いんです。
ただ、動体視力だけでなくカウンターのタイミング、ステップなど、ボクサーとしての技術一つ一つが十点満点です。
素直で、謙虚で、練習熱心。
1990年2月7日、階級を1つ下げ、後楽園ホールでWBC世界ミニマム級で級王者崔漸煥(韓国)と対戦。
めったに見られない天才的な素質がある選手で、こういう実績を残すことは全く驚きではありません。
今日、10月25日はあの日。 一部ではインファイトに課題があるという報道もありましたが。
8ロドリゲス戦の勝因は、どこにあると分析されておられますか? 大橋 やはり「天性の素質があり、非常に謙虚である」という井上の資質に尽きるのではないかと思います。
〈大橋〉 24戦して、19勝5敗です。 学校では給食も食べないし水も飲まないから、先生が随分心配されて親やジムに相談していました。
ふつう、ボクシング界の横綱である私に「やめたほうがいい」と言われたら誰でも諦めるところ、彼は何度言っても諦めずに食らいついてきた。
7「これは自分の夢のためにやっているんだから」と説得するのが、大変だったと言えば大変でした。 宮尾綾香(WBA女子ライト・ミニマム級)• デビュー7戦目での世界挑戦には失敗するが、ミニマム級・ライトフライ級で活躍し、1990年にWBC世界ミニマム級王者、1992年にWBA世界同級王者となった。