斎藤茂吉 万葉秀歌

風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

新撰字鏡 ( しんせんじきょう )に、明。 次に、結句の「己曾」であるが、これも万葉集では、結びにコソと使って、コソアラメと云った例は絶対に無いという反対説があるのだが、平安朝になると、形容詞からコソにつづけてアラメを省略した例は、「心美しきこそ」、「いと苦しくこそ」、「いとほしうこそ」、「片腹いたくこそ」等をはじめ用例が多いから、それがもっと時代が 溯 ( さかのぼ )っても、日本語として、絶対に使わなかったとは謂えぬのである。

真淵は、「円(圓)」を「国(國)」だとし、 古兄 湯気 ( コエテユケ )だとした。

宮崎県:宮崎(みやざき)はこんなところ

風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

舟の上に生涯 しょうがい をうかべ、馬の口とらえて老 おい をむかふるものは、日々 ひび 旅(たび)にして旅(たび)を栖 すみか とす。 島々 しまじま の数 かず を尽 つく して、欹 そばだつ ものは天を指 ゆびさし 、ふすものは波 なみ に匍匐 はらばう。 作中に西行の和歌も含まれているので、是非ともチェックしてみて下さい。

15
妙禅師 みょうぜんじ の死関 しかん 、法雲法師 ほううんほうし の石室 せきしつ を見るがごとし。

日向のさざれ石

風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

一首は平板に直線的でなく、立体的波動的であるがために、重厚な奥深い響を持つようになった。

5
第一首の、「君が代も我が代も知らむ(知れや) 磐代 ( いはしろ )の岡の 草根 ( くさね )をいざ結びてな」(巻一・一〇)も、生えておる草を結んで寿を祝う歌で、「代」は「いのち」即ち寿命のことである。

宮崎県:宮崎(みやざき)はこんなところ

風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

この国の鍛治 かじ 、霊水 れいすい をえらびてここに潔斎 けっさい して劔 つるぎ を打 うち 、終 ついに がっさん と銘 めい を切 きっ て世に賞 しょう せらる。 そのほか 穿鑿 ( せんさく )すればいろいろあって、例えばこの歌には加行の音が多い、そしてカの音を繰返した調子であるというような事であるが、それは幾度も吟誦すれば自然に分かることだから今はこまかい 詮議立 ( せんぎだて )は 罷 ( や )めることにする。 考頭注に、「このかしは神の坐所の 斎木 ( ゆき )なれば」云々。

6
館代 かんだい より馬にて送 おく らる。

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風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

また初句の「熟田津に」の「に」は、「に 於 ( おい )て」の意味だが、 橘守部 ( たちばなのもりべ )は、「に向って」の意味に解したけれどもそれは誤であった。

4
この場合の「見せつ」は、「吾妹子に猪名野をば見せつ」だから、普通のいい方で分かりよいが含蓄が無くなっている。

「おくのほそ道」全文

風 に の さそ て ひむか われ 風 に の さそ て ひむか われ

月が満月でほがらかに潮も満潮でゆたかに、一首の声調大きくゆらいで、古今に稀なる秀歌として現出した。

11
芭蕉(ばしょう)の下葉 したば に軒 のき をならべて、よが薪水 しんすい の労 ろう をたすく。 宇智 ( うち )と 内 ( うち )と同音だからそう用いた。