その多くを二次団体である山健組の関係者が占めていたので、「ヤマケンにあらねばヤマグチにあらず」といわれたのは、つい15年前ですわよ。 発端は西新宿の金村(関東連合)撲殺事件か この事件について、ツイッターではこのように説明している方がいました。 当時、毎月の会費と呼ばれる上納金は約100万円とされていた。
6当初、中田組長は、先代山健組組長でもある神戸山口組・井上邦雄組長の運営方針の違いを理由に、神戸山口組からの離脱を決意。 斜めからみると、縄張り争いをやっているということになるじゃないですか。
そもそも現在、六代目山口組と神戸山口組は「特定抗争指定暴力団」に指定されていますから、警察もかなり緊張感を持っているようです。 サラリーマン社会に例えるならば部長級から役員への昇進に相当する。 何より、六代目山口組に襲撃される一方で、なんら手を打たない井上組長への不信感が爆発したのでしょう」(山口組関係者) 神戸山口組の幹部は6月から、緊急会合を繰り返している。
18実際、組長の中田をはじめほぼ半分の傘下組織の直参組長が離脱するとされる。
昨年12月に殺人未遂容疑で逮捕された中田浩司・山健組組長が、今回の分裂騒動のキーマンと目されている 「まだ不確定な要素はありますが、神戸山口組の二次団体『山健組』傘下のいくつかの組が割って出ることになると思います。 弘道会にとっては一挙両得だ」(同前) 6000人以上いた山健組は2000人台に この人事が行われた翌月、2005年5月には司が若頭に就任。
それゆえ健竜会の離脱は山健組、ひいては神戸山口組が中心から崩壊していることを意味してくる。 それぞれが会合で膝を突き合わせて、互いの意思を確認するという民主的ともいえる手続きも踏まれている。
4司が6代目に就任する直前の2005年4月、すでに弘道会支配に向けた人事が定例会で発表されている。 山健組が一蓮会に報復した経緯 まとめるとこのような流れだったといいます。
神戸拘置所の中から、五代目山健組として、一本(独立組織)でやっていく意思を山健組の保守本流である六代目健竜会・西川良男会長に、弁護士を通じて伝えたといわれていた。 この指定暴力団幹部らが指摘するとおり、池田組は不満を募らせることとなり、山健組に先立って、今年7月に神戸山口組を離脱することになった。
過去の概念では、直系組織の代替りは引退か死去しかありませんが、弘道会だけは高山が本家の若頭に就いたまま組織を代替りさせています。 次第に直参組長たちが息苦しくなって行ったのは間違いない」 次第にこうした息苦しさが表面化していく。 この記事は以上です。
〈今般私儀 諸般の事情に鑑み神戸山口組を脱退いたす事を決意致しました〉 9月上旬、「御挨拶」とのタイトルの達筆な毛筆で書かれた一枚の書状が、暴力団関係者の間で出回った。