想念がなくなってくると、つまり自我が少なくなってくると、今まで強固だと思っていたこの現実世界が薄くなって、それほど強固だと感じられなくなると思うのですが、それでもこの現実世界が夢幻だとは中々思い切れないと思うのです。 人はよく人の事を考え違えて見る事がある。
そしてある日、ある時に渋谷で店を見ながら、歩いて居たらばったりその子が歩いて居るのを目にした。
私は頭に来ました。 むしろ、が説いたこととは真逆です。
下山して映画「mid90s」を観る。 そこでビゴツキーL. 私のスレッドは、やはりデタラメは禁止したいですね(笑) ~~~~~~ 私はも大嫌いだし、あなたが会員のも嫌いですよ。
また、『Mouth to Mouth e. 』 『貴女は、自分は善人だと思っている悪人です。 ただ、仏教史を客観的に俯瞰して観ると、になって、初期から中期、後期となるに従ってかなり実体化の方向に行っているのは確かのようです。
横に居た奥さんが顔真っ赤にして「言わないで、、」と言って居た。 それからもう一人。
』 dhatuは『基体』と訳されます。
今みたいに認知症だとは言わなくて脳軟化と言って居た。
いかなる宗教団体も精神の牢獄だと思っていますから ほんの少しでも関りになることはないですね。 ただカトリーヌ・ドヌーブによく似たその子を可愛くて美人だなと思って居た。 始末に負えない人がたまにそうやって居ますね。
>> あなたが拠り所にする龍樹なんかは、さかんになどと論争に明け暮れましたよね。