見分けるポイントは、描かれている平等院鳳凰堂のデザイン。 10円玉に描かれている「平等院鳳凰堂」。
この平等院が創建した時はまさに末法がはじまった年でした。 本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
江戸時代には「鳳凰堂」の呼称があったということです。 この鳳凰は、2004年から一万円札に描かれています。
宇治と言えば有名な「源氏物語・宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた場所でもあります。
この区切りの年から末法の世が始まる、と人々が信じていたことが何となく分かりますよね。 2018年1月、仮想通貨の利益が出ていたので京都の旅に行ってまいりました。
18しかし、治承4年(1180年)には源平の乱、建武3年(1336年)の宇治合戦、文明18年(1486年)の山城国一揆という3度の大きな争乱によってかなりの痛手を負い衰退していきました。
他にも平等院にはいくつかの建物、塔などがあったと言われていますが、南北朝の争乱の際に焼け落ち、平等院鳳凰堂のみが残り、今の平等院の姿になりました。 10円玉に平等院鳳凰堂が描かれているのは有名ですが、実は1万円札にも鳳凰堂の屋根の上にいる鳳凰の姿が描かれているんです。 境内の木にとまっていた鳥。
1近年発掘調査に基づく整備も行われ、博物館として「鳳翔館」が開館されています。
中堂の背後にある尾廊です。
1052年(永承7年)に関白だった藤原頼通が父藤原道長の別荘を寺院に改めて創建されました。
阿弥陀堂内に隠された謎 仏後壁に描かれた壁画の謎 出典:平等院公式パンフレットより抜粋 九品来迎図とは、阿弥陀堂内の壁に描かれた壁画で、極楽浄土へ往生する者を阿弥陀様や観音様が迎えに来る、来迎が描かれたものです。 非常に綺麗なミュージアムで平等院鳳凰堂に関する様々なものが展示されています。
日本に仏教が伝わったのは 6世紀、 飛鳥時代で、 平安前期に広まりました。 これが長い歴史の中で語られる平等院鳳凰堂の始まりと言われています。 開山は小野道風の孫で、円城寺の長吏を務めた明尊です。
14今から1千年近く前の永承 8(1053)年に、極楽浄土をイメージして鳳凰堂が建てられました。