「それは、音楽そのものの力です。 まさに千里全盛期)、7枚目の『1234』(青年時代の終わりを感じさせる秀作)まで。
学ぶことに年齢なんて関係ないんだなと改めて知らしめられ、自分の価値観が変わったところもあってとても尊敬しています。
今ならそんな風に評論家めいた分析ができるが、僕はただ単純に千里のことを、「ものすごくいい歌を歌う人」だから大好きだった。 優れた歌を百首集めた 『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の 藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。 大江音人の子。
6プロデューサーは大村憲司。
今でも私はこの3曲はカラオケでもうたいますので主観もだいぶ入っているのは否定しませんが・・・。 それは、「平均点を取って安全だけを優先してしまうと、夢にはたどり着けない」ということだという。
17同二年 902 、兵部少丞。
今もそれを疑う気持ちがどこかにある(大江千里『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』KADOKAWA) 2015年に発売された大江千里の著書からの抜粋。 そう信じていた。
「なんて下品でクレイジーでなんでもありな街だろうと思う。
「今までのほとんどの人間関係が壊れてしまっているんです。
歌うことに関しては人生の第一章でやり切りました。
1999年、初の試みであるアコースティックライブ「4ward」を行う。 納涼千里天国がハワイ・シーライフパークで行われ、初の海外ライブを実現させる。
8けれども、僕はもう一回人生を生きたかった。 2008年、ニューヨークに渡り、長期滞在を始める。
人間のここ(心臓)に一番近い楽器だから。 5月21日にデビュー20周年を果たした。
11当時、「男がピアノを弾くのは変だった」と述べている。 1983年2月27日、STV「サンデージャンボスペシャル」で、プロとしての初ステージを踏む。