鉄道唱歌とは

唱歌 鉄道 唱歌 鉄道

淀 ( よど )の 川舟 ( かはぶね )さをさして 下 ( くだ )りし 旅 ( たび )はむかしにて またゝくひまに 今 ( いま )はゆく 煙 ( けむり )たえせぬ 陸 ( くが )の 道 ( みち )• 少 ( すこ )しくあとに 立 ( た )ちかへり 徳山港 ( とくやまかう )を 船 ( ふな ) 出 ( で )して 二 ( に ) 十 ( じふ ) 里 ( り )ゆけば 豐 ( ぶ ) 前 ( ぜん )なる 門司 ( もじ )の 港 ( みなと )につきにけり• 道は再び中山道 遠く連る越の道 是より西は木曽路にて 荒馬や贄川奈良井宿• 出 ( で ) 船入船 ( ぶねいりぶね )たえまなき 商 ( しやう ) 業繁華 ( げふはんくわ )の 三田 ( みた ) 尻 ( じり )は 山陽線 ( さんやうせん ) 路 ( ろ )のをはりにて 馬 ( ば ) 關 ( くわん )に 延 ( の )ばす 汽 ( き ) 車 ( しや )のみち• 神奈 ( かな ) 川 ( がは ) 過󠄁 ( す )ぎて 平󠄁沼 ( ひらぬま )の あなたを 見 ( み )れば 百船󠄂 ( もゝふね )の 煙󠄁 ( けむり )は 空󠄁 ( そら )をこがすまで こゝ 橫濱 ( よこはま )の 大 ( おほ ) 港󠄁 ( みなと )• 空に聳ゆる駒ヶ岳 寝覚の床に臨川寺 小野瀧越えて定勝寺 景色秀れて眺め好し• 汽 ( き ) 車 ( しや )に 乘 ( の )りても 松島 ( まつしま )の 話 ( はなし )かしまし 鹿 ( か ) 島臺 ( しまだい ) 小牛田 ( こゞた )は 神 ( かみ )の 宮 ( みや )ちかく 新 ( につ ) 田 ( た )は 沼 ( ぬま )のけしきよし• 海 ( うみ )にしばらく 別 ( わか )れゆく 小田 ( をだ )の 緑 ( みどり )の 中村 ( なかむら )は 陶 ( たう ) 器 ( き ) 産 ( さん ) 地 ( ち )と 兼 ( か )ねて 聞 ( き )く 相 ( さう ) 馬 ( ま )の 町 ( まち )をひかへたり• こゝは 御 ( ご ) 殿 ( てん ) 場 ( ば ) 夏 ( なつ )ならば われも 登 ( と ) 山 ( ざん )をこゝろみん 高 ( たか )さは 一萬 ( いちまん ) 數 ( す ) 千 ( せん ) 尺 ( じやく ) 十三州 ( じふさんしう )はたゞ 一 ( ひと ) 目 ( め )• 三 ( さん ) 家 ( け )の 中 ( なか )に 勤王 ( きんのう )の その 名知 ( なし )られし 水戸 ( みと )の 藩 ( はん ) わするな 義 ( ぎ ) 公 ( こう )が 撰 ( えら )びたる 大 ( だい ) 日 ( に ) 本 ( ほん ) 史 ( し )のその 功 ( いさを )• 琵琶湖 ( びはこ )を 引 ( ひ )きて 通 ( とほ )したる 疏 ( そ ) 水 ( すゐ )の 工 ( こう ) 事 ( じ )は 南禪 ( なんぜん ) 寺 ( じ ) 岩 ( いは ) 切 ( き )り 拔 ( ぬ )きて 舟 ( ふね )をやる 知 ( ち ) 識 ( しき )の 進 ( しん ) 歩 ( ぽ )も 見 ( み )られたり• 神崎 ( かんざき )よりは 乘 ( の )りかへて ゆあみに 登 ( のぼ )る 有 ( あり ) 馬 ( ま ) 山 ( やま ) 池 ( いけ ) 田 ( だ ) 伊 ( い ) 丹 ( たみ )と 名 ( な )にきゝし 酒 ( さけ )の 産 ( さん ) 地 ( ち )も 通 ( とほ )るなり• 八幡宮 ( はちまんぐう )の 石段 ( いしだん )に 立 ( た )てる 一 ( ひと ) 木 ( き )の 大 ( おほ ) 鴨脚樹 ( いてふ ) 別當 ( べつたう ) 公󠄁 ( く ) 曉 ( げう )のかくれしと 歷 ( れき ) 史󠄁 ( し )にあるはこの 蔭󠄂 ( かげ )よ• 次 ( つぎ )に 來 ( きた )るは 古河間々田 ( こがまゝだ ) 兩 ( りやう ) 手 ( て )ひろげて 我 ( わが ) 汽 ( き ) 車 ( しや )を 萬歳 ( ばんざい )と 呼 ( よ )ぶ 子 ( こ ) 供 ( ども )あり おもへば 今日 ( けふ )は 日曜 ( にちよう )か• 大石 ( おほいし ) 良 ( よし ) 雄 ( を )が 山科 ( やましな )の その 隱家 ( かくれが )はあともなし 赤 ( あか )き 鳥 ( とり ) 居 ( ゐ )の 神 ( かみ )さびて 立 ( た )つは 伏 ( ふし ) 見 ( み )の 稻 ( い ) 荷 ( なり ) 山 ( やま )• 橫 ( よこ ) 須賀 ( すか )ゆきは 乘 ( のり )かへと 呼 ( よ )ばれておるゝ 大船󠄂 ( おほふな )の つぎは 鎌󠄁倉 ( かまくら )いざさらば 源 ( げん ) 氏 ( じ )の 古 ( こ ) 跡 ( せき )や 尋󠄁 ( たづ )ね 見 ( み )ん• 春 ( はる )さく 花󠄁 ( はな )の 藤󠄇枝 ( ふぢえだ )も すぎて 島 ( しま ) 田 ( だ )の 大 ( おほ ) 井 ( ゐ ) 川 ( がは ) むかしは 人 ( ひと )を 肩 ( かた )にのせ 渡 ( わた )りし 話 ( はなし )も 夢 ( ゆめ )のあと• 鐘 ( かね )の 音 ( ね )きくと 菅 ( くわん ) 公 ( こう )の 詩 ( し )に 作 ( つく )られて 觀 ( くわん ) 音 ( のん ) 寺 ( じ ) 佛 ( ほとけ )も 知 ( し )るや 千代 ( ちよ )までも つきぬ 恨 ( うらみ )の 世 ( よ )がたりは• 阿部 ( あべ )の 貞任義家 ( さだたふよしいへ )の 戰 ( たゝかひ )ありし 衣 ( ころも ) 川 ( がは ) 金色堂 ( こんじきだう )を 見 ( み )る 人 ( ひと )は こゝにておりよ 平 ( ひら ) 泉 ( いづみ )• 帝國第 ( ていこくだい ) 二 ( に )に 位 ( くらゐ )して 商工 ( しやうこう )さかゆる 大阪 ( おほさか ) 市 ( し ) 安治 ( あぢ ) 川口 ( かはぐち )に 入 ( い )る 舟 ( ふね )の 煙 ( けむり )はたゆるひまもなし• 日清戰爭 ( につしんせんさう )はじまりて かたじけなくも 大君 ( おほきみ )の 御 ( み ) 旗 ( はた )を 進 ( すゝ )めたまひたる 大本營 ( だいほんえい )のありし 土地 ( とち )• いよ/\ 近 ( ちか )く 馴 ( な )れくるは 近 ( あふ ) 江 ( み )の 海 ( うみ )の 波 ( なみ )のいろ その 八景 ( はつけい )も 居 ( ゐ )ながらに 見 ( み )てゆく 旅 ( たび )の 樂 ( たの )しさよ• おくり 迎󠄁 ( むか )ふる 程 ( ほど )もなく 茨木 ( いばらき ) 吹 ( すひ ) 田 ( た )うちすぎて はや 大阪 ( おほさか )につきにけり 梅 ( うめ ) 田 ( だ )はわれをむかへたり• [倉田喜弘] 『高取武著『増補追録歌でつづる鉄道百年』(1981・鉄道図書刊行会)』 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説. 天 ( てん ) 下 ( か )の 旗 ( はた )は 徳川 ( とくがは )に 歸 ( き )せしいくさの 關原 ( せきがはら ) 草 ( くさ )むす 屍 ( かばね )いまもなほ 吹 ( ふ )くか 伊 ( い ) 吹 ( ぶき )の 山 ( やま )おろし• 鉄道唱歌発表当時の歌詞をネット検索してみますと、『阿倍川』や『阿部川』と表記した ものがほとんどでした。 伊豆と相模ですから、「豆相」が正解。 むかしは 鬼 ( おに )の 住 ( すみ ) 家 ( か )とて 人 ( ひと )のおそれし 陸奧 ( みちのく )の はてまでゆきて 時 ( とき )の 間 ( ま )に かへる 事 ( こと )こそめでたけれ• さし出の磯の村千鳥 鳴きて過ぎ行く日下部や 石和の川に夜をこめて 鵜飼舟に棹ささむ• 西には望むアルプスの 嶺には斑れの雪景色 めでつつ語る程もなく 村井を過ぎて松本市• 鉄道唱歌(山陽、九州) 鐵道唱歌 東京音樂學校講師 上眞行作曲 大阪師範學校敎諭 多梅稚作曲 地理教育 鐵道唱歌 第貳集 大和田建樹作歌 山 陽、 九 州 一 夏なほ寒き布引の 瀧のひゞきをあとにして 神戸の里を立ちいづる 山陽線路の汽車の道 神戸 二 兵庫鷹取須磨の浦 名所舊蹟かずおほし 平家の若武者敦盛が 討たれし跡もこゝと聞く 兵庫 須磨 三 その最期まで携へて 青葉の笛は須磨寺に 今ものこりて寶物の 中にあるこそあはれなれ 四 九郎判官義経が 敵陣めがけておとしたる 鵯越やいちのたに 皆この名所の内ぞかし 鹽屋 垂水 五 舞子の松の木の間より まぢかく見ゆる淡路島 夜は岩屋の燈臺も 手に取る如く影あかし 舞子 六 明石の浦の風景を 歌によみたる人麿の 社はこれか島がくれ こぎゆく舟もおもしろや 明石 大久保 土山 七 加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の 松のあらしに傳へくる 鐘も名だかき尾上寺 加古川 八 阿彌陀は寺の音に聞き 姫路は城の名にひゞく こゝより支線に乘りかへて ゆけば生野は二時間餘 阿彌陀 姫路 ・生野 九 那波の驛から西南 一里はなれて赤穂あり 四十七士が仕へたる 淺野内匠の城のあと 網干 龍野 那波 有年 上郡 三石 吉永 和氣 十 播磨すぐれば燒物の 名に聞く備前の岡山に これも名物吉備團子 津山へ行くは乘かへよ 万富 瀬戸 長岡 岡山 ・津山 十一 水戸と金澤岡山と 天下に三つの公園地 後楽園も見てゆかん 國へ話のみやげには 庭瀬 十二 靈驗今にいちじるく 讃岐の國に鎭座ある 金刀比羅宮に參るには 玉島港より汽船あり 倉敷 玉島 十三 疊おもての備後には 福山町ぞ賑はしき 城の石垣むしのこす 苔にむかしの忍ばれて 鴨方 笠岡 大門 福山 十四 武士が手に巻く鞆の浦 こゝよりゆけば道三里 仙醉島を前にして 煙にぎはふ海士の里 十五 浄土西國千光寺 寺の名たかき尾道 港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり 松永 尾道 十六 絲崎三原海田市 すぎて今つく廣島は 城のかたちもしのまゝに 今は師團をおかれたり 絲崎 三原 海田市 廣島 十七 日清戰争はじまりて かたじけなくも大君の 御旗を進めたまひたる 大本營のありし土地 十八 北には饒津の公園地 西には宇品の新港 内海波も静なり 呉軍港は近くして ・宇品 横川 十九 己斐の松原五日市 いつしか過ぎて嚴島 鳥居を前にながめやる 宮嶋驛につきにけり 己斐 五日市 宮島 二〇 汽笛ならして客を待つ 汽船に乘れば十五分 早くもこゝぞ市杵島 姫のまします宮どころ 二一 海にいでたる廻廊の 板を浮べてさす汐に うつる燈籠の火の影は 星か螢か漁火か 二二 毛利元就この島に 城をかまへて君の敵 陶晴賢を誅せしは のこす武臣の鑑なり 玖波 大竹 二三 岩國川の水上に かゝれる橋は算盤の 玉をならべし如くにて 錦帶橋と名づけたり 岩國 藤生 由宇 大畠 二四 風に絲よる柳井津の みなとにひゞく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の鹽の味 田布施 岩田 島田 下松 徳山 福川 二五 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は 山陽線路のをはりにて 馬關に延ばす汽車のみち 富海 三田尻 二六 少しあとに立ちかへり 徳山港を船出して 二十里ゆけば豐前なる 門司の港につきにけり 二七 向の岸は馬關にて 海上わづか二十町 瀬戸内海の咽首を しめてあつむる船の數 ・馬關 二八 朝の帆影夕烟 西北さしてゆく船は 鳥も飛ばぬと音にきく 玄界洋やわたるらん 二九 満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるゝ此海は 源平兩氏の古戰場 壇の浦とはこれぞかし 三〇 世界にその名いと高き 馬關條約結びたる 春帆樓の跡とひて 昔しのぶもおもしろや 三一 門司よりおこる九州の 鐵道線路をはるばると ゆけば大里の里すぎて こゝぞ小倉と人はよぶ 門司 大里 小倉 三二 これより汽車を乘りかへて 東の濱に沿ひゆかば 城野行橋宇島を すぎて中津に至るべし 城野 行橋 宇島 中津 三三 中津は豐後の繁華の地 頼山陽の筆により 名だかくなりし耶馬渓を 見るには道も遠からず 三四 白雲かゝる彦山を 右にながめて猶ゆけば 汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん 今津 四日市 宇佐 三五 歴史を讀みて誰も知る 和氣清麿が神勅を 請ひまつりたる宇佐の宮 あふがぬ人は世にあらじ 三六 小倉に又も立ちもどり ゆけば折尾の右左 若松線と直方の 道はこゝにて出あひたる 大蔵 黒崎 折尾 ・若松 ・直方 三七 走る窓より打ち望む 海のけしきのおもしろさ 磯に貝ほる少女あり 沖に帆かくる小舟あり 遠賀川 赤間 福間 古賀 香椎 三八 おとにきゝたる箱崎の 松かあらぬか一むらの みどり霞みて見えたるは 八幡の神の宮ならん 箱崎 三九 天の橋立三保の浦 この箱崎を取りそへて 三松原とよばれたる その名も千代の春のいろ 四〇 織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと 川をへだてゝ福岡の 町もまぢかくつゞきたり 博多 四一 まだ一日とおもひたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にきゝし 宰府の宮の飛梅を 雑餉隈 二日市 四二 千年のむかし太宰府を おかれしあとは此處 宮に祭れる菅公の 事蹟かたらんいざ來れ 四三 醍醐の御代の其はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおはせられ ついに左遷と定まりぬ 四四 天に泣けども天言はず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて邊土なる こゝに月日をおくりけり 四五 身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎に さゝげてしぼる袂かな 四六 あはれ當時の御心を おもひまつればいかならん 御前の池に鯉を呼ぶ をとめよ子等よ旅人よ 四七 一時榮えし都府樓の あとをたづねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫の三つ五つ 四八 鐘の音きくと菅公の 詩に作られて觀音寺 佛も知るや千代までも つきぬ恨の世がたりは 原田 田代 四九 宰府わかれて鳥栖の驛 長崎ゆきのわかれ道 久留米は有馬の舊城下 水天宮もほどちかし 鳥栖 久留米 羽犬塚 矢部川 渡瀬 五〇 かの西南の戦争に その名ひびきし田原坂 見にゆく人は木葉より おりて道きけ里人に 大牟田 長洲 高瀬 木葉 植木 池田 五一 眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は 九州一の大都會 人口五萬四千あり 熊本 五二 熊本城は西南の 役に名を得し無類の地 細川氏のかたみとて 今はおかるゝ六師團 五三 町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし 宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺 五四 ほまれの花もさきにほふ 花岡山の招魂社 雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙 五五 わたる白川緑川 川尻ゆけば宇土の里 國の名に負う不知火の 見ゆるはこゝの海と聞く 川尻 宇土 五六 線路分るゝ三角港 出で入る船は絶えまなし 松橋すぎて八代と 聞くも心のたのしさよ ・三角 松橋 小川 有佐 八代 五七 南は球磨の川の水 矢よりも早くながれたり 西は天草洋の海 雲かとみゆる山もなし 五八 ふたゝびかへる鳥栖の驛 線路を西に乘りかへて ゆけば間もなく佐賀の町 城にはのこる玉のあと 中原 神崎 佐賀 久保田 牛津 山口 北方 五九 つかれてあびる武雄の湯 みやげにするは有田燒 めぐる車輪の早岐より 右にわかるゝ佐世保道 武雄 三間坂 有田 三河内 早岐 ・佐世保 六〇 鎭西一の軍港と その名しられて大村の 灣をしめたる佐世保には わが鎭守府をおかれたり 六一 南の風をハエと讀む 南風崎すぎて川棚の つぎは彼杵は松原の 松ふく風ものどかにて 南風崎 川棚 彼杵 松原 六二 右にながむる鯛の浦 鯛つる舟もうかびたり 名も諫早の里ならぬ 旅の心やいさむらん 大村 諫早 六三 故鄕のたより喜々津とて おちつく人の大草や 春日長與のたのしみも 道尾にこそつきにけり 喜々津 大草 長與 道尾 六四 千代に八千代の末かけて 榮行く御代は長崎の 港にぎはふ百千船 夜は舷燈のうつくしさ 長崎 六五 汽車よりおりて旅人の まづ見にゆくは諏訪の山 寺町すぎて居留地に 入ればむかしぞ忍ばるゝ 六六 わが開港を導きし 阿蘭陀船のつどひたる みなとはこゝぞ長崎ぞ 長くわするな國民よ 六七 前は海原はてもなく 外つ國までもつゞくらん あとは鐵道一すぢに またゝくひまよ青森も 六八 あしたは花の嵐山 ゆふべは月の筑紫潟 かしこも樂しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友. ふたゝびかへる 鳥栖 ( とす )の 驛 ( えき ) 線 ( せん ) 路 ( ろ )を 西 ( にし )に 乘 ( の )りかへて ゆけば 間 ( ま )もなく 佐賀 ( さが )の 町 ( まち ) 城 ( しろ )にはのこる 玉 ( たま )のあと• つゞく 名古屋 ( なごや )は 中京 ( ちゆうきやう )と 世 ( よ )にうたはるゝ 大 ( だい ) 都 ( と ) 會 ( くわい ) 名 ( な )だかき 金 ( きん )の 鯱 ( しやちほこ )は 今 ( いま )なほ 城󠄀 ( しろ )の 光 ( ひかり )なり• 手引きの岩を手末に 擎げし力折りたため 天照る神の御孫に 譲りまけしむ秋津島• しのぶもじずり 摺 ( す )り 出 ( い )だす 石 ( いし )の 名所 ( めいしよ )も 程近 ( ほどちか )く 米澤 ( よねさは )ゆきの 鐵道 ( てつだう )は 此町 ( このまち )よりぞ 分 ( はか )れたる• しば/\くゞるトン子ル 〔 〕を 出 ( で )てはながむる 浦 ( うら )の 波 ( なみ ) 岩 ( いは )には 休 ( やす )む 鴎 ( かもめ )あり 沖 ( おき )には 渡 ( わた )る 白 ( しら ) 帆 ( ほ )あり• 汽笛一声我が汽車は はや離れたり飯田町 牛込市ヶ谷堀の端 四ツ谷出づれば信濃町• 夏 ( なつ )はすゞみの 四 ( し ) 條橋 ( でうばし ) 冬 ( ふゆ )は 雪 ( ゆき ) 見 ( み )の 銀閣 ( ぎんかく ) 寺 ( じ ) 櫻 ( さくら )は 春 ( はる )の 嵯峨御 ( さがお ) 室 ( むろ ) 紅 ( もみ ) 葉 ( ぢ )は 秋 ( あき )の 高 ( たか ) 雄 ( を ) 山 ( さん )• 汽 ( き ) 車 ( しや )よりおりて 旅人 ( たびびと )の まづ 見 ( み )にゆくは 諏訪 ( すは )の 山 ( やま ) 寺町 ( てらまち )すぎて 居留 ( きよりう ) 地 ( ち )に 入 ( い )ればむかしぞ 忍 ( しの )ばるゝ• 扇󠄁 ( あふぎ )おしろい 京都 ( きやうと ) 紅 ( べに ) また 加茂 ( かも ) 川 ( がは )の 鷺 ( さぎ )しらず みやげを 提 ( さ )げていざ 立 ( た )たん あとに 名 ( な ) 殘 ( ごり )はのこれども• は/\を代用した。

彦 ( ひこ ) 根 ( ね )に 立 ( た )てる 井伊 ( ゐい )の 城 ( しろ ) 草 ( くさ ) 津 ( つ )にひさぐ 姥 ( うば )が 餅 ( もち ) かはる 名所 ( めいしよ )も 名物 ( めいぶつ )も 旅 ( たび )の 徒 ( と ) 然 ( ぜん )のうさはらし• くの字点は /\を代用した。

鉄道唱歌・奥州・盤城線編

唱歌 鉄道 唱歌 鉄道

積翠凝りて滴りて 玉なす水の桂川 岸千尋の断崖に かかるや猿橋虹の如• 鉄道唱歌 「鉄道唱歌(東海道篇)」 大和田建樹作詞・多梅稚(おおのうめわか)作曲 一 汽笛一声 (いっせい)新橋を はや我 (わが)汽車は離れたり 愛宕 (あたご)の山に入りのこる 月を旅路の友として (新橋) 二 右は高輪 (たかなわ)泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載 (せんざい)の後 のち までも 三 窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総 (かずさ)か房州か (品川) 四 梅に名をえし大森を 注 すぐれば早も川崎の 大師河原 (だいしがわら)は程ちかし 急げや電気の道すぐに 注 「大森を」の部分を、「大森の」とミスタイプしておりました。 涼しき夏の舟遊び 凍る湖上のスケートや 温泉の宿も心地よく 諏訪は四時の行楽地• 霞たなびく大内や 御濠にうかぶ松の陰 栄行く御代の安らけく 列車は出ずる飯田町• 岩 ( いは )もる 水 ( みづ )の 泉 ( いづみ ) 崎 ( ざき ) 矢 ( やぶ ) 吹須賀 ( きすか ) 川冬 ( ゞはふゆ )の 來 ( き )て むすぶ 氷 ( こほり )の 郡 ( こほり ) 山 ( やま ) 近 ( ちか )き 湖 ( こ ) 水 ( すゐ )は 猪 ( ゐ ) 苗代 ( なはしろ )• 舞 ( まひ ) 子 ( こ )の 松 ( まつ )の 木 ( こ )の 間 ( ま )より まぢかく 見 ( み )ゆる 淡 ( あは ) 路 ( ぢ ) 島 ( しま ) 夜 ( よる )は 岩 ( いは ) 屋 ( や )の 燈臺 ( とうだい )も 手 ( て )に 取 ( と )る 如 ( ごと )く 影 ( かげ )あかし• 東 ( とう ) 寺 ( じ )の 塔 ( たふ )を 左 ( ひだり )にて とまれば 七條 ( しちでう )ステーシヨン 京都 ( きやうと ) 々々 ( /\ )と 呼 ( よ )びたつる 車掌 ( しやしやう )のこゑもなつかしや• 浅間の温泉賑わいて 入浴の客の足繁く くる人絶えぬ白糸の 御湯は山辺の里にあり• 大曽根千種も早過ぎて 鶴舞公園目のあたり 身支度整う程もなく 汽車は名古屋に着きにけり• 大久保つつじの花盛り 柏木中野に兵営を 見るや荻窪吉祥寺 境を過ぐれば国分寺• つれだつ 旅 ( たび )の 友 ( とも ) 部 ( べ )より わかるゝ 道 ( みち )は 小 ( を ) 山線 ( やません ) 石岡 ( いしをか )よりは 歌 ( うた )によむ 志 ( し ) 筑 ( づく )の 田井 ( たゐ )も 程 ( ほど )ちかし• つゞく 名古屋 ( なごや )は 中京 ( ちゆうきやう )と 世 ( よ )にうたはるゝ 大 ( だい ) 都 ( と ) 會 ( くわい ) 名 ( な )だかき 金 ( きん )の 鯱 ( しやちほこ )は 今 ( いま )なほ 城 ( しろ )の 光 ( ひかり )なり• 雪 ( ゆき )のあした 月 ( つき )の 夜半 ( よは ) あそぶ 人 ( ひと )はいかならん みれど/\ 果 ( はて )もなき 二 ( ふた ) 子 ( ご ) 島 ( じま )の 夕 ( ゆふ )げしき• 雲 ( くも ) 井 ( ゐ )の 空 ( そら )に 耳二 ( みゝふた )つ 立 ( た )てたる 駒 ( こま )の 如 ( ごと )くにて みゆる 高 ( た ) 嶺 ( かね )は 男體 ( だんたい )と 女體 ( によたい )そびゆる 筑 ( つく ) 波 ( ば ) 山 ( やま )• 祇 ( ぎ ) 園清水 ( をんきよみづ ) 知 ( ち ) 恩院 ( おんゐん ) 吉 ( よし ) 田 ( だ ) 黒谷眞如堂 ( くろだにしんによだう ) ながれも 清 ( きよ )き 水上 ( みなかみ )に 君 ( きみ )が 代 ( よ )まもるかもの 宮 ( みや )• 千代 ( ちよ )に 八千代 ( やちよ )の 末 ( すゑ )かけて 榮 ( さか ) 行 ( ゆ )く 御代 ( みよ )は 長崎 ( ながさき )の 港 ( みなと )にぎはふ 百 ( もゝ ) 千 ( ち ) 船 ( ぶね ) 夜 ( よ )は 舷燈 ( げんとう )のうつくしさ• 底本:• 勢田 ( せた )の 長橋 ( ながはし ) 左 ( ひだり )に 見 ( み ) ゆけば 石山 ( いしやま ) 觀 ( くわん ) 世 ( ぜ ) 音󠄁 ( おん ) 紫式 ( むらさきしき ) 部 ( ぶ )が 筆 ( ふで )のあと のこすはこゝよ 月 ( つき )の 夜 ( よ )に• 『物産唱歌』『内地旅行唱歌』『神武天皇』 さて、この唱歌シリーズは非常に売れたため、大和田建樹以外の人間が似たような作品を大量に発表し、また多くの替え歌が流行しました。 交通網の充実をみた1928年(昭和3)、鉄道省は東京日日新聞と大阪毎日新聞の共催で『新鉄道唱歌』を懸賞募集したことがある。

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向 ( むかひ )の 岸 ( きし )は 馬 ( ば ) 關 ( くわん )にて 海 ( かい ) 上 ( じやう )わづか 二 ( に ) 十 ( じつ ) 町 ( ちやう ) 瀬戸 ( せと ) 内海 ( うちうみ )の 咽首 ( のどくび )を しめてあつむる 船 ( ふね )の 數 ( かず )• 國府津 ( こふづ )おるれば 電車 ( でんしや )あり 小田 ( をだ ) 原 ( はら ) 熱 ( あた ) 海 ( み ) 行 ( ゆ )くもよし 箱 ( はこ ) 根 ( ね ) 八 ( はち ) 里 ( り )の 山道 ( やまみち )も あれ 見 ( み )よ 雲 ( くも )の 間 ( あひだ )より• 琵琶湖 ( びはこ )を 引 ( ひ )きて 通󠄁 ( とほ )したる 疏 ( そ ) 水 ( すゐ )の 工 ( こう ) 事 ( じ )は 南禪 ( なんぜん ) 寺 ( じ ) 岩 ( いは ) 切 ( き )り 拔 ( ぬ )きて 舟 ( ふね )をやる 知 ( ち ) 識󠄂 ( しき )の 進󠄁 ( しん ) 步 ( ぽ )も 見 ( み )られたり• 信飛二州に跨りて 天そそり立つ御嶽や 登山の男女群がりて 夏は賑わう雲の嶺• 犀の川辺をたどりつつ 豊科近き田沢駅 仁科へ通う明科の 里に名高き製材所• 大阪 ( おほさか ) 出 ( い )でゝ 右 ( みぎ ) 左 ( ひだり ) 菜 ( な ) 種 ( たね )ならざる 畑 ( はた )もなし 神崎川 ( かんざきがは )の 流 ( ながれ )のみ 淺 ( あさ ) 黄 ( ぎ )にゆくぞ 美 ( うつく )しき• 木曽の都の福島は 御嶽詣での登り口 山腹高く桟橋を 過ぐればやがて上松よ• 尻内 ( しりうち )こせば 打 ( う )ちむれて 遊 ( あそ )ぶ 野 ( の ) 馬 ( うま )の 古 ( ふる ) 間木 ( まき )や 今日 ( けふ )ぞ 始 ( はじ )めて 陸奧 ( みちのく )の 海 ( うみ )とは 是 ( これ )かあの 船 ( ふね )は• 靈驗今 ( れいけんいま )にいちじるく 讃 ( さぬ ) 岐 ( き )の 國 ( くに )に 鎭 ( ちん ) 座 ( ざ )ある 金刀比羅 ( ことひら ) 宮 ( ぐう )に 參 ( まゐ )るには 玉島港 ( たましまかう )より 汽 ( き ) 船 ( せん )あり• 中村 ( なかむら )いでゝ 打 ( う )ちわたる 川 ( かは )は 眞野 ( まの ) 川新 ( がはにつ ) 田 ( た ) 川 ( がは ) 原 ( はら )の 町 ( まち )より 歩 ( ほ ) 行 ( かう )して 妙見 ( めうけん )まうでや 試 ( こゝろ )みん• 都を出でてなまよみの 甲斐にはめでし富士の嶺 諏訪の湖木曾の谷 美濃の名所も訪れぬ• 鎭西一 ( ちんぜいいち )の 軍港 ( ぐんこう )と その 名 ( な )しられて 大村 ( おほむら )の 灣 ( わん )をしめたる 佐世保 ( させほ )には わが 鎭守 ( ちんじゆ ) 府 ( ふ )をおかれたり• 註: この文書ではが使用されています。 将軍馬を洗いけむ 洗馬や贄川奈良井宿 駅路の鈴の音絶えて 汽笛は響く木曾の谷• 北 ( きた )は 圓覺建󠄁 ( ゑんがくけん ) 長 ( ちやう ) 寺 ( じ ) 南 ( みなみ )は 大佛星月 ( だいぶつほしづき ) 夜 ( よ ) 七里濵 ( しちりがはま )も 江島 ( えのしま )も 行 ( ゆ )くに 電車 ( でんしや )の 便󠄁 ( たより )よし• 奥に見えるのが本州) 四二 汽車のりかへて弘前に あそぶも旅の楽しみよ 店にならぶは津軽塗 空に立てるは津軽富士 四三 帰りは線路の道かへて 海際づたひ進まんと 仙台すぎて馬市の 岩沼よりぞ分れゆく 四四 道は磐城をつらぬきて 常陸にかかる磐城線(いわきせん) ながめはてなき海原は 亜米利加までやつづくらん 四五 海にしばらく別れゆく 小田の緑の中村は 陶器産地と兼ねて聞く 相馬の町をひかへたり 四六 中村いでて打ちわたる 川は真野川新田川 原の町より歩行して 妙見まうでや試みん 四七 浪江なみうつ稲の穂の 長塚すぎて豊なる 里の富岡木戸広野 広き海原みつつゆく 四八 しばしばくぐるトンネルを 出てはながむる浦の波 岩には休む鴎(かもめ)あり 沖には渡る白帆あり 四九 君が八千代の久ノ浜 木奴美(こぬみ)が浦の波ちかく をさまる国の平町 並(ならび)が岡のけしきよし 五〇 綴(つづら) 湯本をあとにして ゆくや泉の駅の傍(そば) しるべの札の文字みれば 小名浜(こなはま)までは道一里 五一 道もせに散る花よりも 世に芳ばしき名を留めし 八幡太郎が歌のあと 勿来(なこそ)の関も見てゆかん 五二 関本おりて平潟(ひらかた)の 港にやどる人もあり 岩の中道ふみわけて 磯うつ波も聞きがてら 平潟(昭和19年) 五三 あひて別れて別れては またあふ海と磯の松 磯原すぎて高萩に 仮(か)るや旅寝の高枕 五四 助川さして潮あびに ゆけや下孫孫も子も 駅夫の声におどろけば いつしか水戸は来りたり 五五 三家の中の勤王の その名知られし水戸の藩 わするな義公が撰(えら)びたる 大日本史のその功(いさお) 五六 文武の道を弘(ひろ)めたる 弘道館の跡とへば のこる千本(ちもと)の梅が香は 雪の下よりにほふなり 五七 つれだつ旅の友部より わかるる道は小山線 石岡よりは歌によむ 志筑(しづく)の田井も程ちかし 五八 間もなく来る土浦の 岸を浸せる水海(みずうみ)は 霞ヶ浦の名も広く 汽船の笛の音たえず 五九 雲井の空に耳二つ 立てたる駒の如くにて みゆる高嶺は男体と 女体そびゆる筑波山 六〇 峰にのぼれば地図一つ ひろげし如く見えわたる 常陸の国のここかしこ 利根のながれの末までも 六一 松戸をおりて国府の台 ゆけば一里に足らぬ道 真間の手児名(てこな)が跡といふ 寺も入江にのこるなり 六二 車輪のめぐり速(すみやか)に 千住大橋右にみて 環(たまき)の端の限なく ふたたびもどる田端駅 六三 むかしは鬼の住家(すみか)とて 人のおそれし陸奥(みちのく)の はてまでゆきて時の間に かへる事こそめでたけれ 六四 いはへ人々鉄道の ひらけし時に逢へる身を 上野の山もひびくまで 鉄道唱歌の声立てて. 一部の古いブラウザでは、ルビが正しく見えない場合があります。

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唱歌 鉄道 唱歌 鉄道

栗林さんにご指摘いただきました。

行き悩みたる山道の こごしき嶺も砥の如く 三百二十余哩を 夢に過ぎけり中央線 中央線鉄道唱歌 [ ]• この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で 発行されておらず)、 かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、 かつ、の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においての状態にあります。 そして、あまりの人気に、その後、作者自ら膨大な改訂版や亜種を出していくのです。

鉄道唱歌 東海道編の歌詞 全文

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帝󠄁國第 ( ていこくだい ) 二 ( に )に 位 ( くらゐ )して 商󠄁工 ( しやうこう )さかゆる 大阪 ( おほさか ) 市 ( し ) 安治 ( あぢ ) 川口 ( かはぐち )に 入 ( い )る 舟 ( ふね )の 煙󠄁 ( けむり )はたゆるひまもなし• 「鉄道唱歌」世界の童謡・唱歌無料ダウンロード 鉄道唱歌 多梅稚の「鉄道唱歌」のmidi,3gp,3g2,mp4形式の音楽ファイルが無料でダウンロードできます。

鉄道唱歌 東海道編の歌詞 全文

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水戸 ( みと )と 金澤岡山 ( かなざはをかやま )と 天 ( てん ) 下 ( か )に 三 ( み )つの 公園 ( こうゑん ) 地 ( ち ) 後樂園 ( こうらくゑん )も 見 ( み )てゆかん 國 ( くに )へ 話 ( はなし )のみやげには• 金 ( きん )と 石 ( いし )との 小 ( こ ) 金 ( がね ) 井 ( ゐ )や 石橋 ( いしばし )すぎて 秋 ( あき )の 田 ( た )を 立 ( た )つや 雀 ( すゞめ )の 宮 ( みや ) 鼓 ( つゞみ ) 宇都 ( うつの ) 宮 ( みや )にもつきにけり• 歴 ( れき ) 史 ( し )を 讀 ( よ )みて 誰 ( たれ )も 知 ( し )る 和氣 ( わけ ) 清麿 ( きよまろ )が 神 ( しん ) 勅 ( ちよく )を 請 ( こ )ひまつりたる 宇佐 ( うさ )の 宮 ( みや ) あふがぬ人は 世 ( よ )にあらじ• 汽 ( き ) 笛 ( てき ) 一聲 ( いつせい ) 新橋 ( しんばし )を はやわが 汽 ( き ) 車 ( しや )は 離 ( はな )れたり 愛 ( あ ) 宕 ( たご )の 山 ( やま )に 入 ( い )りのこる 月 ( つき )を 旅󠄁 ( たび ) 路 ( ぢ )の 友 ( とも )として• 東 ( ひがし )に 立 ( た )てる 東 ( ひがし ) 山 ( やま ) 西 ( にし )に 聳 ( そび )ゆる 嵐 ( あらし ) 山 ( やま ) かれとこれとの 麓 ( ふもと )ゆく 水 ( みづ )は 加茂 ( かも ) 川 ( がは ) 桂 ( かつら ) 川 ( がは )• 右 ( みぎ )は 入海 ( いりうみ )しづかにて 空 ( そら )には 富士 ( ふじ )の 雪󠄁 ( ゆき )しろし 左 ( ひだり )は 遠󠄁州灘 ( ゑんしうなだ )ちかく 山 ( やま )なす 波 ( なみ )ぞ 碎 ( くだ )けちる• 立川越えて多摩川や 日野に豊田や八王子 織物業で名も高く 中央線の起点なり• 桔梗ヶ丘の古戦場 満目荒涼風寒く 北信満峰巍々として 深志の城は目に近し• 曲を取得するまでに20秒程度かかります。

扇 ( あふぎ )おしろい 京都 ( きやうと ) 紅 ( べに ) また 加茂 ( かも ) 川 ( がは )の 鷺 ( さぎ )しらず みやげを 提 ( さ )げていざ 立 ( た )たん あとに 名 ( な ) 殘 ( ごり )はのこれども• 底本:• 勢田 ( せた )の 長橋 ( ながはし ) 左 ( ひだり )に 見 ( み ) ゆけば 石山 ( いしやま ) 觀 ( くわん ) 世 ( ぜ ) 音 ( おん ) 紫式 ( むらさきしき ) 部 ( ぶ )が 筆 ( ふで )のあと のこすはこゝよ 月 ( つき )の 夜 ( よ )に• あしたは 花 ( はな )の 嵐 ( あらし ) 山 ( やま ) ゆふべは 月 ( つき )の 筑 ( つく ) 紫 ( し ) 潟 ( がた ) かしこも 樂 ( たの )しこゝもよし いざ 見 ( み )てめぐれ 汽 ( き ) 車 ( しや )の 友 ( とも ) この著作物は、1937年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、の期日(を参照)の時点でが著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域での状態にあります。 山 ( やま )はうしろに 立 ( た )ち 去 ( さ )りて 前 ( まへ )に 來 ( きた )るは 琵琶 ( びは )の 海 ( うみ ) ほとりに 沿 ( そ )へる 米原 ( まいばら )は 北陸線 ( ほくりくせん )の 分 ( ぶん ) 岐 ( き ) 點 ( てん )• 好 ( かう ) 摩 ( ま ) 川口沼 ( かはぐちぬま ) 宮 ( く ) 内 ( ない ) 中山 ( なかやま ) 小鳥谷 ( こづや ) 一 ( いち )の 戸 ( へ )と すぎゆくまゝに 變 ( かは )りゆく 土地 ( とち )の 言 ( こと ) 葉 ( ば )もおもしろや• 掛川 ( かけがは ) 袋 ( ふくろ ) 井 ( ゐ ) 中 ( なか ) 泉 ( いづみ ) いつしかあとに 早 ( はや )なりて さかまき 來 ( きた )る 天 ( てん ) 龍󠄂 ( りゆう )の 川 ( かは ) 瀨 ( せ )の 波 ( なみ )に 雪󠄁 ( ゆき )ぞちる• 沼 ( ぬま ) 津 ( づ )の 海 ( うみ )に 聞 ( きこ )えたる 里 ( さと )は 牛臥 ( うしぶせ ) 我 ( が ) 入道 ( にふだう ) 春 ( はる )は 花 ( はな )さく 桃 ( もゝ )のころ 夏 ( なつ )はすゞしき 海 ( うみ )のそば• 窓 ( まど )より 近󠄁 ( ちか )く 品川 ( しながは )の 臺 ( だい ) 場 ( ば )も 見 ( み )えて 波白 ( なみしろ )き 海 ( うみ )のあなたにうすがすむ 山 ( やま )は 上 ( かづ ) 總 ( さ )か 房󠄁州 ( ばうしう )か• 汽 ( き ) 車 ( しや )のりかへて 弘前 ( ひろさき )に あそぶも 旅 ( たび )の 樂 ( たの )しみよ 店 ( みせ )にならぶは 津 ( つ ) 輕塗 ( がるぬり ) 空 ( そら )に 立 ( た )てるは 津 ( つ ) 輕 ( がる ) 富士 ( ふじ )• 日和田 ( ひわだ ) 本宮 ( もとみや ) 二 ( に ) 本松 ( ほんまつ ) 安 ( あ ) 達 ( だち )が 原 ( はら )の 黒塚 ( くろづか )を 見 ( み )にゆく 人 ( ひと )は 下 ( げ ) 車 ( しや )せよと 案内 ( あんない ) 記 ( き )にもしるしたり• ここでは「 単語 ( ルビ )」の形で再現しています。

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横 ( よこ ) 須賀 ( すか )ゆきは 乘 ( のり )かへと 呼 ( よ )ばれておるゝ 大船 ( おほふな )の つぎは 鎌倉 ( かまくら )いざさらば 源 ( げん ) 氏 ( じ )の 古 ( こ ) 跡 ( せき )や 尋 ( たづ )ね 見 ( み )ん• 阿彌陀 ( あみだ )は 寺 ( てら )の 音 ( おと )に 聞 ( き )き 姫 ( ひめ ) 路 ( ぢ )は 城 ( しろ )の 名 ( な )にひゞく こゝより 支 ( し ) 線 ( せん )に 乘 ( の )りかへて ゆけば 生 ( いく ) 野 ( の )は 二時 ( にじ ) 間 ( かん ) 餘 ( よ )• 醍 ( だい ) 醐 ( ご )の 御代 ( みよ )の 其 ( その )はじめ 惜 ( を )しくも 人 ( ひと )にそねまれて 身 ( み )になき 罪 ( つみ )をおはせられ つひに 左 ( さ ) 遷 ( せん )と 定 ( さだ )まりぬ• 水 ( みづ )は 川 ( かは ) 瀬 ( せ )の 石 ( いし )こして さきちる 波 ( なみ )の 花 ( はな ) 泉 ( いづみ ) 一 ( いち )の 關 ( せき )より 陸中 ( りくちう )と きけば 南 ( なん ) 部 ( ぶ )の 舊 ( きう ) 領 ( りやう ) 地 ( ち )• 右は同時期の仁王門 三〇 ここにとどまるひまあらば 戸隠山にのぼり見ん 飯綱の原のほととぎす なのる初音もききがてら 三一 豊野と牟礼と柏原 ゆけば田口は早越後 軒まで雪の降りつむと ききし高田はここなれや 三二 雪にしるしの竿たてて 道をしへしも此あたり ふぶきの中にうめらるる なやみはいかに冬の旅 三三 港にぎはふ直江津に つきて見そむる海のかほ 山のみなれし目には又 沖の白帆ぞ珍しき 三四 春日新田犀潟(さいかた)を すぐれば来る柿崎の しぶしぶ茶屋は親鸞の 一夜宿りし跡と聞く 三五 鉢崎すぎて米山の くぐるトンネル七つ八つ いづれば広きわたの原 佐渡の国までくまもなし 三六 みわたす空の青海川 おりては汐もあみつべし 石油のいづる柏崎 これより海とわかれゆく 三七 安田北条来迎寺 宮内すぎて長岡の 町は名だたる繁華の地 製油の烟(けむり)そらにみつ 三八 汽車の窓より西北に ゆくゆく望む弥彦山(やひこやま) 宮は国幣中社にて 参拝男女(なんにょ)四時たえず 三九 弥彦にゆくは三条に おりよと人はをしへたり 吾身(わがみ)は何も祈らねど いのるは君が御代のため 弥彦神社(戦前) 四〇 加茂には加茂の宮ありて 木の間の鳥居いと清く 矢代田駅の近くには 金津の滝の音たかし 四一 十一年の御幸の日 かたじけなくも御車を とどめ給ひし松かげは 今この里にさかえたり 四二 もみぢは新津秋葉山 桜は亀田通心寺 わするな手荷物傘鞄 はやここなるぞ沼垂(ぬったり)は 四三 おるればわたる信濃川 かかれる橋は万代の 名も君が代とときはにて 長さは四百数十間 新潟万代橋(戦前) 四四 川のかなたは新潟市 舟ゆく水の便(たより)よく わたせる橋をかぞふれば およそ二百もありとかや 四五 春は白山公園地 一つににほふ梅桜 夏は涼しき日和山(ひよりやま) 鯛つる舟も目の前に 四六 汽船の煙海をそめ 商家の軒は日をおほふ げにも五港の一つとて 戸数万余の大都会 四七 新潟港を舟出して 海上わずか十八里 佐渡に名高き鉱山を 見てかへらんも益あらん 四八 佐渡には真野の山ふかく 順徳院の御陵(ごりょう)あり 松ふく風は身にしみて 袂(たもと)しぼらぬ人もなし 四九 波路やすけく直江津に かへりてきけば越中の 伏木にかよふ汽船あり いざのりかへて渡海せん 五〇 富山は越中繁華の地 ここよりおこる鉄道は 加賀越前をつらぬきて 東海道にであふなり 五一 薬に名ある富山市は 神通川の東岸 はるかに望む立山は 直立九千九百尺 五二 商業繁華の高岡を すぎて福岡石動(いするぎ)の 次に来るは津幡駅 七尾にゆかば乗りかへよ 五三 加賀越中の境なる 倶利伽羅山(くりからやま)は義仲が 五百の牛に火をつけて 平家攻めたる古戦場 五四 津幡七尾の其間 すぎゆく駅は八九箇所 邑智(おうち)の潟の青波に さをさす舟も羨まし 五五 七尾は能登の一都会 入海ひろく舟おほし ちかき和倉の温泉は 町きよらかに客たえず 五六 津幡にかへり乗りかへて ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑ふ町のさま 五七 名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共(もろとも)に かぞへられたる吾国の 三公園の其一つ 兼六園(戦前) 五八 柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ 五九 第九師団も県庁も 皆此町にあつまりて 海の外までひびきたる その産物は九谷焼 六〇 松任(まつとう)美川うちすぎて わたる手取の川上に 雪を常磐の白山は 雲まにたかく聳(そび)えたり 六一 小松の北におとたかく ながるる水は安宅川(あたかがわ) 安宅の関は何くぞと 問はば嵐やこたふらん 六二 折りたく柴の動橋(いぶりはし) 武士が帯びたる大聖寺 こころ細呂木(ほそろぎ)すぎゆけば いろはの金津むかへたり 六三 三国港の海に入る 日野川こえて福井駅 ここに織り出す羽二重(はぶたえ)は 輸入の高も数千万 六四 大土呂鯖江あとにして 武生(たけふ) 鯖波はしりゆく 汽車は今こそ今庄に つきて燧(ひうち)の城も見つ 六五 海のながめのたぐひなき 杉津(すいづ)をいでてトンネルに 入ればあやしやいつのまに 日はくれはてて暗(やみ)なるぞ 六六 敦賀はげにもよき港 おりて見てこん名どころを 気比(けひ)の松原気比の海 官幣大社気比の宮 気比神宮(戦前) 六七 身を勤王にたふしたる 耕雲斎(こううんさい)の碑をとへば 松の木かげを指さして あれと子供はをしへたり 六八 疋田柳瀬中ノ郷 すぎゆく窓に仰ぎみる 山は近江の賤ヶ嶽(しずがたけ) 七本鎗の名も高し 六九 豊太閤(ほうたいこう)の名をとめし 轡(くつわ)の森は木の本の 地蔵と共に人ぞ知る 汽車の進みよ待てしばし 七〇 縮緬(ちりめん)産地の長浜に いでて見渡す琵琶の海 大津にかよふ小蒸気は 煙ふきたて人をまつ 七一 駅夫の声におどろけば 眠はさめて米原に つきたる汽車の速かさ みかへる伊吹雲ふかし 七二 おもへば汽車のできてより 狭くなりたる国の内 いでし上野の道かへて いざやかへらん新橋に. 東 ( ひがし )に 立 ( た )てる 東 ( ひがし ) 山 ( やま ) 西 ( にし )に 聳󠄃 ( そび )ゆる 嵐 ( あらし ) 山 ( やま ) かれとこれとの 麓 ( ふもと )ゆく 水 ( みづ )は 加茂 ( かも ) 川 ( がは ) 桂 ( かつら ) 川 ( がは )• 三 ( み ) 島 ( しま ) 驛 ( えき )には 官 ( くわん ) 幣󠄁 ( ぺい )の 三 ( み ) 島 ( しま ) 神社 ( じんしや )の 宮 ( みや ) 居 ( ゐ )あり 伊豆 ( いづ ) 鐵道󠄁 ( てつだう )に 乘 ( の )りかへて 一 ( ひと ) 夜 ( よ ) 泊 ( とま )らん 修善 ( しゆぜん ) 寺 ( じ )に• 駿州一 ( すんしういち )の 大 ( だい ) 都 ( と ) 會 ( くわい ) 靜岡 ( しづをか ) 出 ( い )でて 安倍 ( あべ ) 川 ( かは )を わたればこゝぞ 宇津 ( うつ )の 谷 ( や )の 山 ( やま )きりぬきし 洞 ( ほら )の 道󠄁 ( みち )• 五木の翠鬱葱と 御料の林枝栄え 伊勢の内戸の御あらかに 奉行は運ぶ宮ばしら• 明 ( あ )けなば 更󠄁 ( さら )に 乘 ( の )りかへて 山陽道󠄁 ( さんやうだう )を 進󠄁 ( すゝ )まゝし 天 ( てん ) 氣 ( き )は 明日 ( あす )も 望󠄆 ( のぞみ )あり 柳 ( やなぎ )にかすむ 月 ( つき )の 影 ( かげ )(終󠄁) JIS X 0208版 [ ]• 一部の古いブラウザでは、ルビが正しく見えない場合があります。 眠 ( ねむ )る 間 ( ま )もなく 熊本 ( くまもと )の 町 ( まち )に 着 ( つ )きたり 我 ( わが ) 汽 ( き ) 車 ( しや )は 九州一 ( きうしういち )の 大 ( だい ) 都 ( と ) 會 ( くわい ) 人口 ( じんこう ) 五 ( ご ) 萬 ( まん ) 四 ( し ) 千 ( せん )あり• 旭将軍義仲の 育ちし里は宮の越 傲る平家を討たばやと 旗揚げしたる南宮社• あはれ 當 ( たう ) 時 ( じ )の 御 ( み ) 心 ( こゝろ )を おもひまつればいかならん 御 ( お ) 前 ( まへ )の 池 ( いけ )に 鯉 ( こひ )を 呼 ( よ )ぶ をとめよ 子等 ( こら )よ 旅人 ( たびびと )よ• 出 ( い )でてはくゞる 隧道󠄁 ( トンネル )の 前󠄁 ( ぜん ) 後 ( ご )は 山北 ( やまきた ) 小 ( こ ) 山驛 ( やまえき ) 今 ( いま )もわすれぬ 鐵橋 ( てつけう )の 下 ( した )ゆく 水 ( みづ )のおもしろさ• いつしかまたも 闇 ( やみ )となる 世 ( せ ) 界 ( かい )は 夜 ( よる )か 隧道󠄁 ( トンネル )か 小夜 ( さよ )の 中山 ( なかやま ) 夜 ( よ ) 泣石 ( なきいし ) 問 ( と )へども 知 ( し )らぬよその 空󠄁 ( そら )• 今は鉄橋渡るぞと 変わる景色のおもしろさ 歌のモデルとなった御殿場駅のホームでの風景とは? 静かな響き聞けば 遠い町を思い出す 自動車、電車、バス、汽車、馬車、自転車など、乗り物に関する世界のうた・音楽まとめ. また37~38年には日本放送協会が『新鉄道唱歌』を制作し、国民歌謡として放送した。

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彥 ( ひこ ) 根 ( ね )に 立 ( た )てる 井伊 ( ゐい )の 城󠄀 ( しろ ) 草 ( くさ ) 津 ( つ )にひさぐ 姥 ( うば )が 餅 ( もち ) かはる 名所󠄁 ( めいしよ )も 名物 ( めいぶつ )も 旅󠄁 ( たび )の 徒 ( と ) 然 ( ぜん )のうさはらし• 三留野は古き殿作り 秋の与川の月冴えて 浮世の外の眺めさえ 塵をいといし湯舟沢• 神奈 ( かな ) 川 ( がは ) 過 ( す )ぎて 平沼 ( ひらぬま )の あなたを 見 ( み )れば 百船 ( もゝふね )の 煙 ( けむり )は 空 ( そら )をこがすまで こゝ 横濱 ( よこはま )の 大 ( おほ ) 港 ( みなと )• 浦 ( うら ) 和 ( わ )に 浦 ( うら )は 無 ( な )けれども 大宮驛 ( おほみやえき )に 宮 ( みや )ありて 公園 ( こうゑん )ひろく 池 ( いけ )ふかく 夏 ( なつ )のさかりも 暑 ( あつ )からず• この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で 発行されておらず)、 かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、 かつ、の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においての状態にあります。