これがアニメーションのいや ジブリの力か!! 14歳清太のエゴによる犠牲 30代になって真剣に本作を眺めてみると 過去に感じなかった更なる悲惨さを垣間見た。
観艦式ご盛儀を奉祝するイルミネーションは、(中略)言葉を変へて表現するならば、『光源の街』と象徴しやうか、はた『燃える神戸』とでも表現すべきか、山に、海に、そして大空に、網膜に映るものもの総てが光を放ち、夜の神戸は實に素晴らしい奉祝情景を現出した。 そして、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というふうに言います。
清太は、母の死を誰にも言い出せないでいた。 なのにというより、それが原因だと私は思いますが…(後述) 全ての原因は清太の感覚のズレ 清太節子兄妹が死んだのは、清太が世間知らずだったからです。 働かなかったのも、オルガンを弾く行為に疑問を持てなかったのも、隣組に入らなかったのも、 なまじお金があるために、働いて稼ごうという気にならなかったのだと思います。
9そう考えると「火垂るの墓」において、清太の死因は「自殺だった」という説も間違っていないのではと感じられます。 何より 清太は今、節子が幸せであることを望んでいたのです。
節子は医者から栄養失調と診断を受けたのを最後に急激に弱っていきました。 まだ戦争の本当の意味を理解していない節子に、辛い思いをさせたくないという兄の優しさを感じます。
今回は2020年8月15日現在48位の 『火垂るの墓』を見ました。
「観客には、自分もあの(幼い兄妹に嫌みを言う)おばさんのようになってしまうことを恐れてほしいのです。
現在もコロナが終わる気配もなく、 新たなる日常を政府は強要し、 戦時下の日本と変わらない。
隣組に入らない清太 おばさんの嫌味に耐えかねて、清太は親戚の家を出ます。
Sponsored Link しかし、このドロップを巡ってある問題が勃発。 おばさんも生きるのに必死なので、自分もあのおばさんと同じ行動をしかねないと思うと、さらに嫌な気分になる。
10原作のある作品で、 1967年の短編小説。